交通

渡し

画像:前遺跡の調査
渡し船時刻表

見沼代用水

見沼代用水(星川)では、地内の対岸へ渡り、仕事や買い物等行う為のための交通手段であった渡船場がありました。騎西地域では、外田ヶ谷の三本木と芋茎の戸塚にありました。これらの渡しは、両岸を針金などで固定し、それを手探りしながら小船で渡るという簡単なものでした。戸塚の渡しは「舟場」とも呼ばれ、多くの利用者がありましたがいずれの場所も大正10年頃に廃止されました。

渡良瀬川

北川辺・大利根地域では、鉄道の開通により水運、すなわち水上交通である舟運の衰退は同様でしたが、鉄道開通当初の運行本数の少なさや高い運賃から、その後も舟運(渡し舟)が使われていました。利根川によって一方の交通路が遮断された地域では「渡し舟」が生活に密着した交通手段であり、自転車を乗せて対岸まで往来してくれる船は、まさしく人々の足、そのものでした。このような光景はごく最近まで見られたそうで、昭和の時代と共になくなったようです。