あわびの荷札

安兵衛様<やすべえさま>あわびを送ります

画像:荷札 画像:荷札

 この荷札は騎西(私市)城の家老、加藤孫太夫<かとうまごだゆう>屋敷<やしき>の井戸から見つかった、江戸時代のはじめのものです。長さは15㎝、幅2.2㎝、厚さ3㎜です。

 荷札の表には「あ王<わ>び弐連<にれん> 江戸より」裏には「安兵衛様 勘九郎<かんくろう>(又は勘三郎<かんざぶろう>)」と書かれています。

画像:井戸の発掘風景
井戸の発掘風景

 

 騎西の安兵衛が、江戸に住んでいる勘九郎にあわびを注文したのでしょう。そして、勘九郎は安兵衛にあわびを二連送ってきました。この荷札は、そのときの荷物に付けられていたと考えられます。また、連<れん>という単位から、のしあわびと思われます。

 戦国から江戸時代、出陣やお祝いのときには、打ちあわび(のしあわび)・勝ち栗・昆布の三品で酒を飲み、敵に打ち・勝ち・喜ぶという願いをこめました。

 勘九郎と安兵衛は二人とも商人と考えられますが、実は加藤孫太夫の甥に加藤定頼<さだより>という人物がいます。記録によると、定頼は寛永<かんえい>16年(1639)まで安兵衛と名のっていたため、騎西でも安兵衛と名のっていた可能性があるのです。

 慶長<けいちょう>19年(1614)に小田原城(神奈川県小田原市)主の、大久保忠隣<おおくぼただちか>が領地を没収されたとき、孫の騎西城主大久保忠職<おおくぼただもと>も共に罰せられ、江戸で家から出ることを禁じられました。

 

画像:荷札が見つかった井戸
荷札が見つかった井戸

 そのとき、城は家臣たちが守っていましたが、寛永2年(1625)になってようやく罪を許され、寛永3年には加賀守という官位をいただいています。これは、家臣たちにとってはこの上ない喜びであったにちがいありません。

 加賀守となった忠職のお祝いで、城で盛大な祝宴が開かれ、加藤安兵衛の注文したあわびは打ちあわびとして、勝ち栗・昆布とともに食膳にのぼったのではないでしょうか。