29 秋元宮<あきもとみや>

お話を聞く

 

 下崎<しもさき>の福岡家に、秋元但馬守<あきもとたじまのかみ>(山形藩主<やまがたはんしゅ>)をまつった「秋元宮<あきもとみや>」という石の祠<ほこら>があります。そこには、次のようなことが書かれています。

 

 江戸時代、下崎村上分<かみぶん>の百姓に金蔵<きんぞう>・万五郎<まんごろう>という兄弟がいました。二人はやさしい性格で、亡<な>くなった父親の教えを守り、家の仕事に精を出し、間違った行いはせず、年老いた母親を大切にしていました。

 

 寛政<かんせい>6年(1794)3月15日、金蔵・万五郎兄弟の話は、下崎を治<おさ>めていた秋元但馬守の耳に届きました。秋元但馬守は褒美<ほうび>として米3俵<びょう>と、その行いを褒<ほ>め称<たた>えた手紙を送りました。母親は藩主の行列を間近で見られる栄誉<えいよ>をいただきました。藩主は、行列の時に見かけた、母親のやせ衰<おとろ>えた白髪<しらが>姿を哀<あわ>れに思い、一握りの銀を母親に与えました。

 

 そこで、殿様からいただいた手紙をご神体とし、この話を後の世に伝えて欲しいと思い、石で「秋元宮」という祠<ほこら>を造りました。