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32 上寺<かみでら>の太子様<たいしさま>

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 むかし、騎西の〝上寺〟と言われた浄楽寺<じょうらくじ>に、聖徳太子<しょうとくたいし>をまつったお堂がありました。中には、行基菩薩<ぎょうきぼさつ>が作ったと言われる騎西城主の守り本尊<ほんぞん>がありました。この太子様に熱心にお願いすると、大工<だいく>や左官<さかん>、桶屋<おけや>などの職人<しょくにん>の腕がめきめき上達<じょうたつ>するといわれ、あちらこちらからお参りの人がやって来ました。

 

 ある日のことです。このお堂の前を、馬に乗った武士が通りかかりました。少しためらいながらも、馬に乗ったまま通り過ぎようとしたときです。

 「ヒヒーィン、ヒヒーィン 」

 突然のいななきと共に馬が暴れだし、武士はあっという間に振<ふ>り落とされてしまいました。あまりの突然の出来事にびっくりした武士は、しばらくそこにぼうぜんとすると、やがて馬を引いて立ち去りました。

 この様子をそばで見ていた者は、太子様の不思議な力に、改めて感心<かんしん>したということです。

 

※町の通りの西に位置するのが〝上寺<かみでら>〟と呼ばれる浄楽寺です。それに対して〝下寺<しもでら>〟と呼ばれたのは東に位置する大英寺<だいえいじ>です。
資料によると、この太子堂は4間<けん>4面<めん>(32畳<じょう>)の大きなお堂でしたが、いたみが激しく、江戸時代の文久<ぶんきゅう>2年(1862)に解体されました。その後、信者の願いで大正6年(1917)に再建されました。しかし、後に壊れたためふたたび解体されましたが、それがいつの頃かはわかりません。
寺では、かつては職人たちで〝太子講<たいしこう>〟という集まりができて、聖徳太子を描<えが>いたお礼<ふだ>が配られていました。