4 おんじ庚申<こうしん>

お話を聞く

 

 上高柳<かみたかやなぎ>の南には、新川<にっかわ>用水が流れています。この川のすぐ近くに、庚申塔<こうしんとう>があり、〝おんじ庚申〟といわれています。

 

 今から300年もむかしのことです。村の若い者7人が、それぞれ独立して新しい生活をはじめました。7人は何かと助け合って、毎日毎日を暮らしていました。

 

 ある日のことです。

 「俺たちゃみんな分家<ぶんけ>の身の上だ。ひとかど(一人前)の者になったら、村のために庚申塔を立てべぇじゃねえか」

 皆、そろってうなずきました。

 それからというもの、7人は前にも増して一生懸命働きました。朝は暗いうちから田を耕<たがや>し、夜はせっせとワラ仕事をしました。そのおかげで、いつしか家は栄え、誰からも尊敬される立派な旦那<だんな>たちとなりました。

 そこで、かねてからの願いだった庚申塔を立てることにしました。村人の幸せを願い「奉待庚申(庚申<こうしん>の日を待ち奉<たてまつ>る)」としました。ところが、おんじ達(家をつぐ長男以外の男子)が立てたのだからと、いつしか〝おんじ庚申〟と呼ばれるようになりました。

 

 おんじ庚申は特に水難除<すいなんよ>けに霊験<れいけん>あらたかで、川で溺<おぼ>れても不思議とここで発見されました。いつだったか、おんじ庚申を移動したのですが、急に水の事故が続いて、慌<あわ>てて元へ戻したことがありました。それからは、ずっと村を守ってくれているということです。

 

※庚申<こうしん>とは、60日ごとにやってくる干支<えと>のこと(かのえさるの日)です。この日は健康と幸せを願い、隣り近所の者が集まりました。この塔<とう>は元禄<げんろく>12年(1699)に造られました。小沼・茂木・石塚など、300年経った今も、7人の名前がはっきりと読めます。