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25 三ツ俣路<みつまたろ>の弁天様<べんてんさま>

お話を聞く

 

 鴻茎<こうぐき>に七軒耕地<しちけんごうち>という場所があります。西から東へ、大きな堀<ほり>があり、堀のすぐ脇が三ツ俣路で、こっちへ行くと○○村、橋を渡ると△△村というようなところで、家もあまり多くはありませんでした。

 

 むかしここに、それはそれは美しい娘が住んでいました。村の若い者にとって、娘は自慢<じまん>の種でした。そして誰もが、いつかは自分の嫁にしたいと考えていました。

 

 そんなある日のこと。噂<うわさ>を聞いたよその村の若者が、いつものように娘見たさにやって来ました。何度も何度もやって来る若者に村の若者は、たいへん怒って、このよその村の若者を殺してしまいました。それからというもの、村では争いごとや災難<さいなん>が続き、若くして亡<な>くなる人が何人も出てしまいました。

 

 村の人たちは

 「このままでは村から人がいなくなってしまう」
 「あの若者のたたりだ」

 と話しました。

 そこで若者の供養<くよう>にと三ツ俣路へ池を掘<ほ>り、弁天様をまつりました。村人は誰とはなしにこれを拝<おが>み、若者の霊<れい>を供養しました。そんな願いが通じたのか、いつしか村では悪いことも起きなくなり、元の静かな村に戻ったということです。

 

※弁天様は水の神で、農業の神様でもあります。
鴻茎・七軒耕地に立つ弁天様は、江戸時代の安政<あんせい>2年(1855)に造られました。わきには「七軒氏子中」の文字が書かれています。
なお、大正12年(1923)に関東大震災が起こりましたが、この時〝朝鮮人の襲撃<しゅうげき>がある〟とのうわさがあり、村人は警備のため、ここに集まったといいます。