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志多見砂丘

砂丘

 砂丘は自然堤防などに堆積した砂が風によって運ばれてできた小高い砂の丘です。日本の砂丘では鳥取砂丘がよく知られております。鳥取砂丘は海岸沿いにできたもので河岸砂丘といわれています。それに対して内陸の河川沿いにできる砂丘があります。それを河畔砂丘と呼びます。河畔砂丘は利根川沿いに埼玉県の羽生市から越谷市にかけて多くみられ見られ、そのなかでも志多見砂丘は最大規模です。砂丘の砂は、風に運ばれたため大きさが均一です。

 

中川低地の砂丘の分布

 河畔砂丘の分布は、旧利根川の流路に沿い発達し、東西方向では幅が狭い傾向にある。それに対し、北は加須市飯積であり南は越谷市大成町とかなり長く分布する。分布には下記の通り4流路に分類できる。

 ・会の川(羽生市~久喜市)
 ・合の川(加須市)
 ・浅間川、大落古利根川(加須市~久喜市~杉戸町~春日部市~松伏町)
 ・古隅田川、古隅田川との合流点から下流の元荒川(春日部市~さいたま市~越谷市)

埼玉の地質をたずねて【改訂版】(築地書館,2012)に加筆

 

砂丘の成り立ち


「埼玉の自然をたずねて」より 2000年
監修者 堀口萬吉 築地書館

 志多見砂丘は、平安時代~室町時代にかけて形成されました。平安時代の後期、1108(嘉承三/天仁元)年に浅間山が大規模に噴火し、当時の利根川に大量の噴出物が流れ込み、下流の埼玉まで運ばれて堆積し、自然堤防が形成されました。 その後、寒冷な気候となり、強い北西の季節風(赤おろし)が風上から自然堤防の砂を吹き飛ばし、風下の屈曲部の自然堤防に堆積して、よく発達した河畔砂丘が形成されました。 また、形成された河畔砂丘には志多見砂丘のように1列ではなく並行して4列もあることが観察できます。

 

市内の砂丘

埼玉県指定天然記念物
中川低地の河畔砂丘群 志多見砂丘

画像:埼玉県指定天然記念物 中川低地の河畔砂丘群 志多見砂丘

平成26年3月11日指定

中川低地の河畔砂丘群(加須市・久喜市・春日部市ほか)は、関東平野のほぼ中央に位置する中川低地にあります。

日本のような湿潤な気候条件下で内陸部に砂丘が形成されるのは大変珍しく、

画像:埼玉県指定天然記念物 中川低地の河畔砂丘群 志多見砂丘

 

利根川流域に形成された河畔砂丘は長さ、幅ともに日本最大で、全長は4,000m、最大幅は500mに及ぶ。また、形成の時期やメカニズムが明らかになっている例は、志多見砂丘のほかにはほとんどありません。

 良質な砂が採れるため、高度経済成長期(昭和30年代~昭和40年代)に砂の採取が進み、本来の地形を残しているところは少なくなっています。

 

加須市指定名勝 志多見砂丘

画像:加須市指定名勝 志多見砂丘

昭和31年9月24日指定

 『むさしの村』の南側にある小高い砂丘です。志多見砂丘群のほぼ中央にあり、標高は20.4mを測り周囲と約2mの比高差があります。長い間人の手が加えてられていなかったため遷移が進み、コナラ、アカシデなどの樹木が見られる。

 

加須市志多見東県自然環境保全地

画像:加須市志多見東県自然環境保全地

 志多見交差点南東の『立正佼成会』があるところで、よく管理されている砂丘です。この砂丘にはアカマツが広範囲に植えられており、下草が刈られ砂地であることが分かる。このアカマツは、江戸時代に防風林と薪炭用や肥料用等として植えられたものであります。 この地区は比較的起伏に富んでおり、第二次世界大戦時中は戦車を目立たないように隠していたこともあります。

 

砂丘の松

 加須西中学校の砂丘の中を歩くとアカマツ林が多くみられます。志多見砂丘は昔から「志多見原(しだみっぱら)」とよばれアカマツがうっそうと茂り、日中でもうす暗かったといわれています。これらのアカマツ林は、松根油(しょうこんゆ)を採取するために第二次大戦中に伐採されました。

 江戸時代の志多見砂丘には、すでに砂丘林が存在しており、アカマツのほかクヌギやコナラが植林されていたことが松村家文書よりうかがえます。農民は森林資源に乏しい加須低地で赤城おろしに対する防風林と薪炭用や肥料用として広大な砂丘林を人工的に作ってきました。